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観音講便り


第69号 「行ないの中に人格は現われる」

2018年11月24日 21:45更新

 読売新聞の朝刊に、月一回掲載されているコラムに「時の余白に」というものがあります。筆者である芥川喜好氏の考えがストレートに出た内容になっております。そのなかに、「ホルショフスキーの奇跡」と題されたコラムがありますが、ポーランドに十九世紀末に生を受けたホルショフスキーというピアニストの、一九八七年十二月に、生涯ただ一度だけの来日演奏会が開かれたことに関するものです。来日当時、九十五歳であったにも関わらず、生気あふれる、みずみずしくも熱いものが広がる中、バッハ、モーツァルト、ショパンの曲が、それぞれのタッチにふさわしい音を奏でて、聴衆を魅了したとのことです。コラムにも出てくる音楽評論家の石井宏氏は、「人間の精神と肉体が九十五歳まで健康に営まれたとき、どれほど見事な存在になるかを教えてくれている」と、ホルショフスキーを絶讃されておられます。これを受けて、芥川氏は、謙虚に、自らの成すべきを成すだけのことが、どれほど難しいかということであり、人々が同じ言葉を口にし、同じもの、同じ人をもてはやす現象は、いわば現代における商業主義の勝利の風景であり、みな一緒に盛り上がりながら、その実、人間一人の想像力や判断力の貧しさを語っているようにみえると、内容を問うことのない、話題最優先のスター主義を強く批判しておられます。

 わたしたちは、現在の風潮に流され、深く考えることも無しに生活していることについて、一度立ち止まってみる勇気も必要なのではないでしょうか。前号でも多くを引用させて頂いた池田晶子さんのコラムに、「人間の価値って何だろう」というものがあります。TVのニュースの取り上げ方に異を唱え(小僧も、最近のニュースは、話題性ばかり重視して、本当に大切なことを伝えていないように感じていましたのでまったく同感を覚えました。)、ある国会議員の数十年前の学歴詐称に関して、人間の価値観のあるべき姿を示しておられる。池田女史は、先の国会議員の学歴詐称に関連して、「米国大学卒という学歴が、なにやらすごいことであるという価値観である。だから彼はそれを詐称したし、人はその露見を喜んだ。どちらもともに、学歴が価値だと思っているのである。しかし、どうして学歴が人間の価値なのか。いまさらながら、私はこのことが不思議である、人間の価値とは、その人間の価値に決まっている。一流大学卒の、くだらない人間は、くだらない人間である。大学など出なくても、まともな人間はまともである。人間の価値とは、その人間の人格、人格そのものである。学歴や頭脳なんて価値は、人格で人間を評価できないくだらない人間が、でっちあげたまがいものの価値である。」と述べておられる。物事の本質を鋭く見つめ、職人さんの貴重価値を正当に評価しておられた永六輔氏の考えに通ずるものが感じられます。今は故人となられた池田晶子女史、永六輔氏(仏教寺院に生を受けられた。)の哲学的なお考えと共通するものが、『スッタニパータ』(ブッダのことば)の第三大いなる章の第九「ヴァヒッタ」のところにおいて見受けられる。中において、仏教者の立場から見た理想の存在としての「バラモン」の姿の諸相を出した後に、生まれとしての差別は無く、皆平等に人間としての存在価値を有し、その人間としての社会的価値は、その人の行ないによって決定することが述べられている。農業人は、農業により生計を立てるから農民と呼ばれ、商売人は、商ないにより生計を立てるから商人と呼ばれ、漁業人は、漁により生計を立てるから漁師と呼ばれるだけのことであり、その人間の本当の価値は、その仕事にあるのでは無く、その仕事を通してあらわれる磨かれた人格のあらわれに対して、わたしたちは、敬意の念を持つのである。ましてや政治家たるもの、田中正造の残した言葉、「真の文明は山を荒らさず川を荒らさず村を破らず人を殺さざるべし」という位の高い志を持ってこそ、始めて多くの選挙民によって国政或は地方行政を任された国民の幸福のための政治が行えるのではなかろうか。市井の人々も、高官に就いている人々も、問われるのは、唯一つ、それぞれの立場においてどのように生きてゆくかということであろう。

 人として正しく生活する中で、長年の徳の積み重として知らず知らず身体の全体からにじみ出てくるものがその人の人格であろう。そのような人々をしっかり受けとめるためにも、「雪降れば冬こもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける」紀貫之(「古今和歌集」)というような雪を愛でる豊かな心(大雪に見舞われる地域の方々はそのようにはいかないと存じます。)を持ち、「ひっぱりて動かぬ橋や引っぱりぬ」(高野素十の句)という根性を持ってお互に健康で生きてゆきたいものです。

 合 掌

<平成三十年十月十八日>


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