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観音講便り


第70号 「アイヌ民族を通して学ぶこと」

2020年04月12日 20:50更新

 昨年は、北海道開拓150年ということであったが、世間的に余り注目されることは少なかった様である。北海道は、元々先住民たるアイヌの人々が住んでいた土地で、鎌倉〜室町時代頃から和人(本州以南の人々を指す。)の移住者が少しずつ増えていったようであり、明治二年に現在の北海道という地名になったようである。

 江戸時代末〜明治にかけて蝦夷地(北海道、サハリン、千島)を探検して、北海道開拓に大きな力があった松浦武四郎は、自から住んでいる土地をカイと呼び、和人に虐げられていたアイヌの人々に対して、常に同じ人間として接っしていたのである。彼は、強きに弱く、弱きに強い性癖を持つことの多い和人の中にあって、人間としての平等に目覚めていた数少ない人間の一人であった。そして、そのような心情のあらわれとして「心せよ えみし(アイヌ)も同じ人にして わが国民の数なるならん」との、人々をいましめる歌も残している。明治に入り維新政府の役人となったものの、政府の開拓政策を批判して、すぐに辞職している。松浦武四郎の生き方から学ぶことは、仏教における慈悲の心であり、中国における私の心であり、日本人のおもてなしの心の奥底に流れるおもいやりの心であるように思われる。

 『ブッダのことば(スッタニパータ)』第一蛇の章八慈しみの中に、「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」とあり、「何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。」とあり、「あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。」とあります。(「岩波文庫」中村元訳参照。)

 次に恕については、『漢語林』に、おもいやり、同情、いつくしみという慈悲に通ずる意味が示されております。『論語』の「衛霊公」に関する文に、「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。」とあるを引用して、「それは、恕だろうな。(それはたとえば)自分が望まないことは、他人にもするな、ということだ」と説かれています。来年のオリンピックの招致活動の時に、話題になった「おもてなし」は、持て成すで、物事をとりなしたり、処置したり、人に対しての取り扱い、待遇すること等と併せ、歓待したり、ご馳走したりする意味があり、面倒をみたり、世話をすることの意もあるようである。

 大切にもてなす意である「おもてなし」は、「もてあそぶ」という神事に関わる語に通ずるもので、平安期には、「もてあそばす」という尊敬表現も見られたようである。そして、「おもてなし」の極地は、他の存在(人間とは限らない。)に対して、しみじみと、よくよくとの意を以って、自からの心情の委曲(つまびらかにくわしく、ものごとを深く理解する。)を尽すことをあらわすとされる「つばらつばら」という言葉に求められうるであろう。「つばらつばら」に見られる、ものごとをありのままに見ることを修行の始まりとする初期仏教のおしえに通ずるものが見受けられる。人々の良き行ないの中に、仏のおしえは光りを放つものであるから、北海道開拓150年を迎えて、松浦武四郎という伊勢の郷士(武士であるが、農村に居住して農業をいとなみ、若干の武士的特権を認められたもの。坂本竜馬も郷士の出である。)のアイヌ民族に対する接っし方から、仏のおしえに通ずるものを学びとらせていただいた訳である。ちなみに、『北の海明け』(佐江衆一緒《新潮社)という小説の中には、江戸末期のアイヌ民族の苦境が描かれているが、その最後に、「日露和親条約」(安政元年に締結された。)の第一条〜第三条までの条文が載せられている。この条約に関して、先住民たるアイヌ民族には一言もふれられていないということを無言のうちに示しておられる。条約以前から北海道や樺太(サハリン)、千島列島に居住していたアイヌ民族の先住権は、一顧だにされていないのである。故梅原猛氏は、縄文文化やアイヌ文化、沖縄の文化を高く評価され、先住民としてのアイヌの人々に学ぶ必要のあることを示されましたが、今日でも、『行きなおす力』(柳田邦男著(新潮社〉)という本において、柳田氏は、「ぶつかった柱をなでるアイヌ文化」の中で、アイヌの子育ての文化に触れ、子どもが棚の木におでこをぶつけて痛いと言うと、大人は棚の本のほうをさすって「いいいい、治る、治る」と言うと、子どもはきょんとして、痛みを忘れてしまう旨の話しを教えられたことが述べられております。そして、この話しを示された宮坂静生氏の言として、「意志がないと思われる物の傷みを感じることが出来るかどうか、その考え方は、これからの我々のものの考え方の中で、一番大事ではないか」と論じられているものを引用され、「何とすばらしくも凄い子育て論であり、人間論であることか。・・・これは他者への配慮を失った「自己中心主義」や「拝金主義」の蔓延する現代の日本人の精神状況に対する最も的を射た、しかも有効な警句ではないか。傲慢なヤマト民族よ、戦後教育や日教組を批判しているヒマがあったら、頭をぶつけた柱や棚のほうをなでてやるアイヌの文化を学ぶがよい。」と、氏の見解を示されておられる。

 新らしい年号が『万葉集』の中から採用されたが、アイヌ民族や沖縄の人々にとっての『万葉集』とも称すべき、「アイメユーカラ」や「おもろそうし」が存在することにより、我が国の文化は豊かなのであるという故梅原猛氏のご指摘についても考えてみることは、今日の荒廃した精神文化の中においては、必要なのかも知れないように思われる。

 合 掌

 ※「つばら つばら」については、『字訓』(白川静著<平凡社>)参照。

<令和元年5月18日>


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