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観音講便り


第71号 「落葉隻語・ことばのかたみに学ぶ」

2020年04月12日 21:08更新

 「健全なる中流とは、単なる中産階級ではありません。まず社会的に認められ、安定した収入が得られる「正薬」を持ち、家族というものを養い、文化を守り、社会に参加している市民階級です。・・・自分の見識を持ち、助け合いによるよい社会への希望と信念を持っていた人たち、それが「普通」の市民だったのです。「当たり前」の生き方だったのです。」(多田富雄著「落葉隻語」)以前の日本の在り様は、大きこのようでした。その当時は、人は努力さえすれば何とか大学にもいけたし、普通の生活ができたのです。しかし、多田氏も述べておられるごとく、金融経済が実体経済を凌駕し、バーチャルな経済が広まることにより、健康な中流は影が薄くなり、貧困層と、一部の富裕層の存する格差社会の広がりの中で、人々の心は荒廃し、助け合いの精神が失われてきております。核家族化し、自治会にも入会せず、自宅介護もできないような所で、自己疲弊しながら生活を送らざるを得ないような人々が増えてきている社会は、不健全としか言いようがありません。政治にしても、社会弱者や世の中の苦境にあえでいる人々に対して有効な施策を見い出せておりません。しかし、この現実を甘受して、おかしいことはおかしいと声を出せない、わたしたち国民一人一人にも、現代を、おかしな世界にしてしまった責任の一端はあるように思います。確かに豊かな生活の為には、経済力は大切です。しかし、経済が世の中の全てを支配する、経済至上主義は、世の中の歪みを増長し、子供の精神まで蝕んでおります。『スッタニパータ』(ブッダのことば)の第一蛇の章、七、賤しい人の中に、「己れは財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、―かれを賤しい人であると知れ。」とあり、「母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち、またはことばでののしる人、かれを賤しい人であると知れ。」とあります。そして、「ひとを悩まし、欲深く、悪いことを欲し、ものおしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、恥じ入る心のない人、ーかれを賤しい人であると知れ。」ともあり、人の賤しさは、その人の生まれによるものでは無く、その人の行ないによるとして、チャンダーラ族のマータンガの行ないの尊いことが説かれております。現在の利便性のみに特化したインターネット社会や、AI化の促進の持つ負の側面をしっかり認識して、人間が、その長い時間をかけて形成してきた家族の在り方を、真剣に考え直すことが求められているように思われる。少くとも、トランプ氏のような大統領が誕生したということは、多数決によって物事が決まる議会制民主主義の現状が、衆愚政治に陥っていることの証しであろう。

 最後に、多田氏の著作(『落葉雙語』)の中から、一つの問題点を出したい。それは、同書の中で述べておられる「漢方薬郵送禁止の乱暴」ということである。ことは、2009年6月に改定された「薬事法」により、それまで可能であった漢方薬の郵送が、薬のネット販売の規制の煽りを受けて、禁止されたことである。この禁止により、遠くに住みながら、漢方薬に頼ってきた高齢者や障害者は、途方にくれているとのことであり、このような悪い規制が行なわれているのは、日本だけであるとも、多田氏は、当事者の立場から、その憤りを、多少押さえぎみながら、述べておられる。今回の消費税十パーセントへの増税についても言えることですが、政治家・官僚は、本当に国民の立場に立って諸般の物事を決めているのかということです。大切なのは、誰にでも理解できる「シンプルイズベスト」の視点ではなかろうか。

 『法句経』に、「およそこの世に、そしりを受けざるはなし」とあります。おおよそ、人々は、人の悪口や陰口を絶え間なく言っているのが世の中の在り様です。ですから人の言にいちいち腹を立てることなく、世間はそういうものであるから、人にはそれぞれの考え方があるのだと受け取って、それを許していけるように、自ら心掛けたい。全てが私を磨いて下さる声として受け止めたいものです。池田昌子女史の言われるように、「自分が存在しなければ、世界は存在しないのである。」と言うように、人生の主役は、私自身であるという気概を持って生きてゆきたいものである。

 合 掌

<令和元年9月18日>


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