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観音講便り


第73号 「希望の色に託すしあわせ」

2020年12月20日 20:50更新

 「薄紫の山脈ははるか希望の雲を呼び」と、島根県民歌にあり、大田市歌には「石見路のひんがしにして空清く輝くところ」とあります。どちらも朝を連想させる薄紫、青の色が歌い込められております。朝は、これから始まる一日がより良い日となるようにとの希望を託す一時であるように思われます。その一瞬に幸せを感じることのできる人は、はたして何人おられることでしょう。

 日々の生活に追われ、目に見えない時間に追い立てられながら、自身を取り巻く自然の色のうつろいをしっかり感じながら生きることができにくい世の中になっているのではないでしょうか。確かにスマートフォンは、私たちに、世の中との関わりを広く豊かにし、生活を便利なものにしてくれております。その中で気になるものに、「SNS動画」に見られる“いいね”と言う書き込みがなされていることです。動画を投稿した人は本当に感動したものを提供しておられるのでしょうが、書き込みを入れた人々は、ただただ目にした機械に写し出された内容なり色にに心を寄せたに過ぎず、本当の色ではないように思われます。朝の色にしても、豊かな自然の残る田舎では当たり前である薄紫の広がりも、都会の中では、しっかりと全身のまなこで受け止めることができないようになっているのでしょう。

 しっかりと自然を感じて生きることのできない多くの人々の心の拠り所としての側面が、“いいね”という表現に表れているのでしょう。この「SNS動画」における自己存在のゆがんだ顕示欲が危険な所に立ち入っての撮影や、立ち入り禁止の場所や聖域とされる場所への不法侵入による撮影が行われているのでしょう。この好奇心を良い意味で深めるためにももう一度世の中で一番感度の良い生身の目でもって、しっかりとこの現実を見つめ、改めて都会の中の自然の色、働く人々の輝く汗、赤ちゃんとお母さんのなんとも言えぬ幸せ感等をしっかり目に焼き付けるような生き方を心がけるだけでも、「SNS動画」に振り回されるようなことはなくなるように思われる。

 自分自身の人生を、人と比較することにより生きる上での努力目標として考えるなら良いでしょうが、不必要な劣等感により、自己を卑下することは厳に慎むべきでしょう。「サグラダファミリア」の建設に関わっておられる、日本人の外尾悦郎氏は、ガウディが「サグラダファミリア」に託した想いを、朝の薄紫の色と表現され、日々生きる人々の希望の色である薄紫を理想の色として仕事を進めておられる。外尾氏によれば、自然の色は、一色のグラデーションであり、色には境がない。光が万人に等しく注ぐように、人間も自分で壁を作ることなく、心を開いて全てを受け入れることが大切であるとのことです。その心を開くための希望の色が薄紫の色であろう。

 合 掌

<令和2年4月18日>


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