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観音講便り


第74号 「ひとつことに生きる」

2020年12月20日 20:52更新

 「コロナ禍に閑かに往ける人のあり」、此の句は一人の女性に向けたレクイエム(鎮魂曲)の想いを込めた小僧の心情である。

 その女性とは、本名本目真理子。「ガード下の靴みがき」のヒットで知られ、人生の後半生を「ねむの木学園」(肢体不自由児の養護施設)の運営と「福祉の里・ねむの木村」の完成に捧げられた人である。言うまでもなく女優・歌手・舞台人として活躍の後、肢体不自由児役を演ずるために訪れた病院や施設の方々と接っせられる中で、何かを感じとられ、独力で養護施設の立上げを思いたたれ、その円成に全財産と人生を捧げられたことは、みなさんよくご存知のことと思います。

 尊敬すべき宮城まり子さんから教えられることは多々ありますが、ニ、三の観点から述べさせて頂きます。

 一、人生の転換点における腹のくくり方

 宮城まり子さんは、四十歳をすぎて、それまでの名声と地位を投げ出して、まったく未知の分野である福祉事業に乗り出されたのである。小僧のように気弱な人間には到底まねのできないことであります。設立書類の作成に関しても極力ご自身で成されたようです。その時に全面的に支えられたのが、芥川賞作家の吉行淳之介氏である。全身全霊で福祉事業に取り組む姿からあふれる情熱が、吉行氏を始め多くの方の助力を呼び込んだように思われます。生涯をかけて「ねむの木」の活動を行ってゆくんだという強い意志の発露を感じさせられました。この尋常ではない生き方が、多くの人々に深い感銘を与えたことと思われます。「生涯を貫く」ことの難しさは、一部の芸能人の間で行われた「ジャガイモ」の会が、現在は、その活動を停止している一事を以ってしても理解できるものと存じます。

 二、人生のパートナーとしての二人の在り方

 宮城まり子さんと吉行淳之介氏の愛のあり方は、お二人の互いの人間性の尊重に重きをおき、互いの生き方を認め合うという成熟した関係にあるように思われます。生野高等女学校中退の宮城さんも、東大英文科中退の吉行氏も、それぞれの分野で成功をおさめられた方であり、人生における信念はそれぞれ違っていた事でしょう。大切なことは、その違いを理解した上で、相手の生き方を全て認めた上で、ささいなことには心を痛めることなく、相手の人生のプラスになることに心を配ることであろう。小僧にはわかりかねることではあるが、家庭内にあって、男女が良い関係を築こうとすれば、互いに信頼し合うことが大切になるのでしょうか。その信頼を得るために、ひとりひとりが、自分自身を大切にして社会の中でより良く生きてゆくことを目指すことが求められるのでしょう。腹をすえてしまえば、生物学的にも女性の方が強いのですから、男性は仏さまの手のひらの上で戯れる孫悟空のようなものであるという位の心の余裕を、女性の方におもちいただくと、社会の風通しが多少は良くなるのではないでしょうか。

 コロナ禍の中にあって、世の中における男女の在り方、家族の在り方、社会の在り方、福祉の在り方を考える上で、宮城まり子さんの人生から学ぶことはたくさんあるように思われます。目立ちたがりの人々の多い昨今、明治から昭和にかけて活躍された臨済宗の名僧、山本玄峰尊師が常々説かれていた「陰徳」(人々の気づかないところで人々のために善い行ないをすること)の功徳ということに思いをめぐらすことも、宮城まり子さんの生き方に通ずるように思います。今、わたしたちが出来ることは、目に見えないところでわたしたち一人一人の生活を支えて下さっている多くの方への感謝の念いを、常に心の中に持ち続けることであろう。

 合 掌

<令和2年6月18日>


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