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観音講便り


第75号 「貧者の一燈」は生き方の尊さを示す。

2020年12月20日 20:53更新

 貧者の一燈とは、有名なおしえであり、真心のこもった貧者による仏への供養の一燈は、富者の財力をもととする万燈にも勝る功徳(現生・来世に幸福をもたらすもとになるよい行い。善根とも、神仏の恵みとされる御利益をもあらわす。)があるとされている。ブッダの説法時、王の献じた万燈が強い風で消えてしまった中、貧しい老女の献じた一燈だけは消えることなく燃え続けたということに由来するおしえである。人々に真心をもって生きることの大切さや誠意の尊さをおしえてくれるものである。

 この老女の生きて来た道が、全ての生命あるものの理想の形である無私の姿を示すものであろう。「朝は希望に起き 昼は努力に生き 夜は感謝に眠る」。この様な単調な生活を、日々の貧しい生活の中で、確たる自負をもって、しっかり生きて来られた誠を尽すものが、ブッダの説法時における一燈であろう。貧にして施すことは難かしいと言われるが、それは財施(社会的生活において成功をおさめた者のボランティアとしての側面からみたもの。)に比重を置いた狭い考え方のように思われる。

 誰でもがどんな境涯にあっても、無財の七施に見られるように、自分自身の回りの人々に対して生きる勇気を与えることができるのである。

 日本において、初めてアジアで開かれたオリンピックとして知られる第十八回東京大会が行なわれた時代に、韓国にあって、貧しいながらも懸命に生きていた一人の少年がいた。その名は、李潤福(イユンボク)と言い、日々の出来事を日記に綴っていた。その日記が、「ユンボギの日記」として一冊の本として出版され、多くの人々を勇気づけたのである。日本においても、「ユンボギの日記」の日本語版が出版され、その本をもとに、「マンガ版ユンボギの日記」とも言える「あの空にも悲しみが」(一九九二年に上下二巻として小峰書店より刊行。)が出されている。本の中には、朝鮮戦争後の混乱が未だ治まらないパク・チョンヒによる軍事政権が、民政化へ舵を取り初めた頃のユンボギ少年とその家族、学校の友達、回りの大人の人々との心暖まるエピソードが語られております。

 コロナ禍の今、多くの方々に是非目を通して頂きたい内容がもりこまれております。

 父親は病弱であり、世の中も不景気だったために失業中でした。母は家出していました。当時小学校四年生のユンボギは、弟と二人の妹と父親の家族五人の暮らしでした。その生活は、一日二食(昼飯抜き。)が当りまえで、ユンボギとすぐ下の妹は、放課後にガムを売り、雀の涙ほどのお金を手に入れ、近所を回って残りご飯を分けてもらうことで維持されていました。やがて妹のスンナさえが家出をしてしまいますが、そんな中にあっても懸命に努力するユンボギの姿に心を打たれて、学校の先生はユンボギの綴った日記に感動して、逆に励まされるのです。心ある先生による物心両面からの協力、同級生による心からの励まし、近所の人々による思いやりあふれる施しに力づけられていたのでした。

 このような生活を送っていても、自分よりももっと貧しい物乞いのおじいさんになけなしのお金を渡したように、常に他人に心配りをすることの出来る人間であり、自分自身の純心な気持ちをイユンボクは大切にすることの出来た人間であり、常に前向きに生きることの出来た人であった李潤福は、一九九〇年一月に故郷である大邱で、三十八年の生涯を終えたのである。多くの人々に勇気を与えてくれる「ユンボギの日記」であるが、名も無い多くのユンボギが、日本にも韓国にも中国にも、そして全世界にも存在することは確かであると思います。そのような人々の代表の生きた証しとしての「ユンボギの日記」は世界記憶遺産として、「アンネの日記」よりはるかに勝れていると思われる。「貧者の一燈」とは、李潤福の生き方そのものに現われているのです。経済偏重の歪んだ社会にあって、助け合いのあるべき姿を懐しく思うものです。

 合 掌

<令和2年11月18日>


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