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観音講便り


第76号 「アネハヅルに学ぶ人生」

2020年12月20日 20:55更新

 アネハヅルは、ツル類の中で最も小さく、全長85センチ〜100センチのツルである。その中で一部のアネハヅルは、ヒマラヤを越えることが知られております。夏場はチベット高原で子育てをして、冬場はダウラギリ山群に沿うかたちでヒマラヤ越えを果たしてインドの越冬地で過ごすのです。このヒマラヤ越えから学ぶことは、わたしたちの人生にとって意義のあることのように思われる。

 一、アネハヅルは上昇気流をうまく利用する。

 ヒマラヤ越えの時にアネハヅルが飛ぶのは、高度四千メートル〜六千メートルの間であり、ずっと羽撃いたままではすぐに体力を消耗してしまいます。そこでアネハヅルは、上昇気流を上手に利用しながら、降下と上昇をくり返して、徐々に高度を上げて、最後には、山にギリギリまで近づき生命がけの山越えを果たします。この時に上昇気流が無ければアネハヅルは山を越えられません。わたしたちも有形無形の多くのものに支えられ乍ら、ウィルスの脅威に怯えながら生きております。この時、助けになるのが確かな情報です。しっかり生活するには、おかしな情報を捨て去る見識を養う必要があります。

 デジタル機器を悪用するのでは無く、人類のために上手に使うことが出来なければ、わたしたちの知恵は、アネハヅルには及ばないということになろうかと思われます。

 ニ、若い時には全身で生命と向き合え。

 山越えの時に、アネハヅルは、群れをつくる時に若いツルだけのグループと年配のツルだけのグループに分かれるようである。若いと、上昇気流のとらえ方が未熟で、山越えの時に十分な高度を得られないで何度か挑戦しなければならないのである。困難に立ち向かう時、一羽ではなしとげられなくても、仲間が助け合うことにより、多少の犠牲があっても無事に自力で山を越えるのである。共生の姿を示すものであろうが、大切なことは、他に頼るだけでは物事は、成しとげられないということである。自分自身をしっかり見つめることにより全力を尽くすことである。良い人生を送るためには、若い時の苦労をできるだけ経験することである。無限の可能性を見つけ出すことは、その人にとってはその人にしか出来ないのである。努力は裏切らないことを信じて、最低限自分で自分のいのちを絶つことの無いようにしたいものです。逃げたい時には逃げる弱さを持つことを許す社会でありたいものです。SNSによるコロナ禍中のいじめは、中世ヨーロッパのペスト禍中における「魔女狩り」と、心情的にはそんなに隔りは無いように思われる。

 三、ほど良い状態を目指す。

 アネハヅルは、山越えの時に隊列をつくる。そして、常に先頭を交替することによりお互いの体力の消耗を防ぐことで、無事山越えを成しとげるのである。このことを可能にしているのがアネハヅルの体の大きさにあるようである。大きすぎれは体力の消耗が激しくなり、小さすぎればヒマラヤ特有の強風に流されて、共に山越えは困難なようである。多くの民族の苦難の上に成り立っている先進国とされるわたしたちは、赤松啓介氏(在野の民族学者。)が、その著書の中で「なにが欲しいのか。「無限」の富を求め、「無限」の地獄へ落ちた私たちは、いま空も、地も、川も、海も化学物質、核物質の汚染で死滅させ、やがて一切の生物が絶滅する日を待ち望んでいる。そうなると山の神、野の神、あらゆる妖怪変化たちも、またその歴史を閉じるだろう。・・・人間も、地球も、宇宙も、いずれは滅亡する。この短い生涯をなんとか、有意義に暮らせないかというのも、また一つの生き方だろう。そうなると百人、百趣で、どうぞ御勝手に、と突き放すほかあるまい。」と述べておられるような所で生活しているように思われる。「デジタル社会における富の分配と助け合う社会の実現を目指すことが、わたしたちに、求められている喫緊の課題であろう。

 合 掌

<令和2年11月18日>


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