三、近世−近代の円城寺

信仰広まる

 僧坊山々谷々をめぐらした中世の繁栄は、戦乱によって一時に灰燼と化したが、宗門地に落ちず、近世徳川の太平の世となっては、寺の建物は昔日のように復旧しなかったが、天台信仰は民衆化してひろまり、石州六番の札所として諸方の崇敬の登山者で山はにぎわった。
 蔵王権現杜もたびたび修理又は再建されたようで、今に保存されている棟札によって、それをうかがうことができる。
 近世になって修験道は真宗や神道の影響で衰えたが、代って、陰陽五行道がさかんとなり、陰陽師の修行がさかんに行われたようである。当地方の正月の歳徳神をまつるカリヤ行事は、この陰陽師によって司祭されたといわれている。

○明暦(三百年前)の棟札
         大工 秦六右衛門
         小工 中屋清右ヱ門
 奉新建立鎮守蔵王大権現宮一宇
  本願 西林坊 庄屋 平吉良
     妙音坊    波多野善兵衛
            川村久右ヱ門

○宝暦(二百年前)の棟札
 奉修覆蔵王権現社成就所
    円城寺村 頭百姓 秦清兵衛
             山根六郎右ヱ門
             波多野善兵衛
    市野原村 庄屋  喜右ヱ門
         庄屋  福田善右ヱ門
         頭百姓 松村新右ヱ門

石州六番の札所

 石見八重葎(やえむぐら)という古書に
 霊椿山円城寺は石見に於ける天台の古刹で除地八石、石州六番の札所、所在は吉永本郷の内、円城寺村なり。
 おとにきくわしの御山の月影も光はおなじまどかなる寺

と記されてある。
○除地八石(石見六郡記による)
  二石 池田八幡  二斗 小屋原若一王子
  二斗 多根八面宮
  八石 円城寺村円城寺 四斗 同所蔵王権現
  三斗 東上山八面宮 四斗 同所定章庵
     (円城寺八石は、その他の計よりも多い)
○石見三十三札所
一番 銀山峰 清水寺 真言宗 大国本郷佐摩村
二番 清来山 波啼寺 禅 宗 宅野本郷
三番     安楽寺 真言宗 静間村
四番 八百山 神宮寺 真言宗 川合村
五番 稲荷山 慈雲寺 禅 宗 大田南村
六番 霊椿山 円城寺 天台宗 吉永本郷円城寺村
七番 起雲山 臥竜院 禅 宗 志学本郷池田村
      (三十三番まであるも以下略す石見史料による)

神仏分離令

 境内にまつられてあった鎮守蔵王権現杜は、明治維新の神仏分離令によって権現号を廃し日下山神社と称することとなり、さらに、円城寺村、市野原村の神社をこの社に合祀して野城神社と称し、合併した野城村の氏神としてまつった。町村区域はその後大田町と佐比売村に別れたが、大田市になった今日も、野城神社は、元の奥の院の境内に鎮座ましまし、両地区の氏神として崇拝されている。

開扉供養

 本尊千手観音は秘仏として拝され、開扉は三十三年度毎に行われる例となっている。
 昭和八年の開扉にあたっては、仁王門が建立され、仁王尊遷座法要が開扉法要と共に厳修された。この仁王門、庫裡、鐘楼、等の再建によって境内は面目を改めた。この仁王門は久手町(刺鹿)の生越甚市氏の寄進である。


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