住職の論文集 本文へジャンプ
一事を行ずる眼

 私が、「行一事」なる言葉を意識の外に、持つ様になったのは、自分自身の生き方に悩んでいた、二十才頃のことである。
 それ以来、特に僧侶になってからは常に「一事を行ずる。」とは私自身にとってどの様な意味を持つのかと考える事が多くなった。
 今考えて見るに、人間生きている以上、それぞれ個人の生活は各各が独力で切り開いてゆかなけれはならない。
 社会生活の中では、他人と協調してゆかなければならぬという厳しい現実の中で、社会的存在として、各個人が出来得る範囲で対社会的に意義のある、一事を行ずることが出来れば、それが 「照于一隅」の精神に連なるものではないかと思われる。
 以下人生経験の乏しい小僧の感ずるままを述べようと思います。
 先ず現在の社会状況を見ますに非常に不自由な精神状態におかれているのではないかということである。
 マスコミの悪影響によって生活の糧と為すべき知識が単なる好奇心を満足すべき、低レベルにおかれているという点を憂える心を持たなければ、戦後にアメリカから入ってきた自由と云う名の幻に振り回されて、日本が育くんで来た文化の重さを理解しようとしない現在の状況は好転しない様に思われる。
 たとえ良書が出版されても、経済効率を重視する出版界においては、すぐに絶版になるのも少なくない。
 自由を謳歌していたはずの日本は、今、目に見えないところから不自由になりつつあるのではないか。
 その現われの一つが、甲子園における高校野球の異常なる新聞紙面のとりあげ方。本来工業製品の品質管理に使用されるべき「偏差値」が人格形成に多大なる影響力を持つ教育界に於て使用されている事。
 以上ちょっと取りあげただけでも、世の中は遅々としては、いるものの地下水脈の如くおかしな方向へ進んでいるのではなかろうか。
 現在の混乱が、中世以来より都市文化を育てて来た西欧と違い、歴史の浅い日本が独自の都市文化を形成する陣痛であるならば良い方向へ行くであろうが、そうでなければ、仏教者としても、時代を離れては、その存在する場がないのであるから、今こそ厳しい眼を自分自身にも社会に対しても向けなければならないと思う。
 為政者に対して厳しい目を向けなければならない新聞が、発行部数にばかり目を奪われて、却って一般大衆の弱い者いじめをする様な記事をたまに目にする現在、ビートたけしの週刊紙の記事に感心する様な奇妙な時代の中にあって少なくとも仏教者としては、一歩さがって冷静な眼をもって時代の流れを判断し、(その判断が誤りであったとしても、その判断が、釈尊の金言、お祖師様等の語録を自分自身で体解した中から生じたものであれば)少々角が立ったとしてもこの混迷の流れの中に、是非この事だけは為さねばならぬと云う、強い意志を以って、それぞれの立場に立って行動を起こすべきかと思う。
 これが、私の一事を為すにあたっての基本的な考え方であり、この延長線上に沿って、宗教活動をしてゆきたいと思う。
 浅学非力の身なれば、諸賢諸大徳、及び檀信徒の方々のご高見、ご叱責を賜りますれば幸甚である。
 少なくとも現在の日本は、一遍・良寛が、日本に於て「捨」に徹し切った僧侶として再評価され、NHKにも取りあげられながら、現実にこれを行ずる僧に対しては、乞食坊主という様な蔑視を持って接する人々が大多数なのである。
 最後に、私が十数年前に見たTVの中で感銘を受けた事を述べたいと思う。
 多分、「すばらしき世界旅行」という番組であったと思う。
 ニューギニアの高地民族の中の一部族の村で、死者が出たので、死者の体に泥の様なものを塗って煙で何日か燻してミイラとした後で部落の見下ろせる高台に木組をした上に安置した時に、一人の老婆が語った言葉が、今でも蘇ってくる。
 「なぜ、ミイラにするかというと、残された者が、寂しくなった時に何時でも会いにゆけるだろうし、死んだ者も残された人々や、部落をいつまでも見守っていたいだろうから、高台に安置しておくのだよ。」
 と云う様な意味の事を云ったと記憶している。
 何と云う心の豊かさであろうか。仏教も難しい教理ばかりでなく、この様な豊かな心持ちをどの様にしたら保つ事が出来るか、それを現代に生かすには、どの様な方法が見出されるであろうかと考えた場合、やはり、時代がどの様に変わろうと、母親の存在感の大きさである。
 暴君を育てるのも、孝子を育てるのも、母親の責任は重大なるものがある様に思う。
 核家族の上に、あふれ過ぎる情報の洪水の中で、死と友達になり得ない家庭の中に放り出されている現代の日本人にとって、自分自身の個性を見つめる眼を、男も女も、子供達も養わなければならぬ。
 この自分を見つめる心を育てる上で、仏教を生かす時期に来ているのであろうが、物事には潮時があるので、混乱は益々その度を深めるのであろうか。
 旧仏教、新仏教(新興宗教)の中で、何含経が大きくとり上げられている。
 天台宗の僧侶として、一隅精神に連なる、一事を行ずる、その一事とは何かを確立する為に、心の豊かさと物の豊かさの上に立って日々悩んだり、迷ったりしながら進んでいきたい。
 私が思っている事は、二十才の時に、成人式に於て肝に銘じた、「行一事」であり、基本的には二十才よりも前進していないので、精神年令は二十才のままであると自覚している。
 身体は二十代のような無理はきかないが、心だけは何時までも若く保ちたいものである。
 心が老けてくると肝心な眼も曇ってくるからである。
 畢寛、一事を行ずる眼は、私が僧侶になる機縁であり、一生かけて極め尽さなければならない宿題の様なものであろうかと漠然と意識し始めたこの頃である。
 「スッタニパータ」の中の一句を以って結びとする。
 「父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり、混乱せぬこと、−−−これがこよなき幸せである。」

「広報 山陰天台」第35号(昭和61年1月1日発行)